せとうちのしおり #24
オリーブの島として知られる小豆島に歌舞伎舞台があり、今なお歌舞伎が行なわれていること、ご存知ですか。
毎年5月に行なわれる「肥土山農村歌舞伎」と、10月に行なわれる「中山農村歌舞伎」。
役者さんから化粧、浄瑠璃、衣裳など、すべて島の人たちが担当しています。
300年以上の歴史を持つと言われるふたつの農村歌舞伎をご紹介します。
毎年5月3日に小豆島土庄町の肥土山地区で行なわれる「肥土山農村歌舞伎」。1686年(貞享[じょうきょう]3年)に蛙子池の完成を祝い、仮小屋を建てて芝居をしたのが、はじまりだと言われています。
肥土山歌舞伎の舞台は、離宮八幡神社の境内にあります。
国の重要有形民俗文化財に指定されている建物は、寄棟造りで瓦葺、本瓦葺下屋付。人の力で動かす廻り舞台やセリが設けられています。
「330年以上前ですね。1686年に灌漑用水のため池が完成して、水不足が解消したことを喜んだ村人が歌舞伎を演じて祝ったことが肥土山農村歌舞伎のはじまりだと言われています。その頃にはすでに島で歌舞伎が行なわれていたのではないかという話もあります。島の特産品の醤油などもあったので、上方との行き来もあったでしょう。また、当時は一生に一度の夢としてお伊勢まいりをする人も多かった。その帰りに観た歌舞伎が楽しくて、上方から役者を呼び小豆島で歌舞伎を上演したという話も聞いたことがあります」
そう話してくれたのは、肥土山農村歌舞伎保存会会長の佐々木育夫(ささきいくお)さん。
ご自身は小学3年生の時、演目「菅原伝授手習鑑[すがわらでんじゅてならいかがみ
]」の杉王丸役で初舞台を踏んだそうです。
演目は毎年4幕行なわれます。
「演目は毎年変わります。舞台の隣に衣裳蔵があるのですが、その中には代々受け継がれてきた台本が約300冊保存されています。その中の20〜30の演目を演じています。今年はあれをやろう、これはどうだろうなど、保存会のみんなで選びます。台本のほかに、衣裳やカツラ、小道具なども多数保存されています。2幕目は、小学生の子どもたちが出演する子ども歌舞伎を行ないますが、毎回一番盛り上がります」。
配役が決定したら、せりふの読み合わせ。
せりふを覚えたら、いよいよ立ち稽古に入ります。
「みんな熱心だからせりふもがんばって覚えます」と佐々木さん。
むずかしいのは、独特のせりふまわし。
調子を覚えるのが大変なのだそうです。
「調子は口伝えで覚えます。役ごとに独特の型があるんです」。
農村歌舞伎という伝統を守り、台本や衣裳、調子や振り付けなどを受け継いでこられた肥土山地区の皆さん。
そこにはどんな思いがあったのでしょうか。最後に佐々木さんに伺いました。
「地域の人々が守りたいと思ったからこそでしょうね。先人たちが守ってきたものを、今度は自分たちが次の世代に受け継いでいく。バトンタッチする。それが使命だと思っています。もちろん、歌舞伎を演じたり、裏方として活躍することが楽しいと言うのもありますよ」。
小豆島の中山地区は、「日本の棚田百選」にも選ばれた700枚を超える田んぼ「中山千枚田」があることでも知られています。
中山農村歌舞伎は、毎年10月、五穀豊穣の恵みに感謝を込めた春日神社への奉納歌舞伎として行なわれます。
「中山の舞台」と呼ばれる歌舞伎舞台は棚田の近く、春日神社の境内にあります。
茅葺寄棟造りの舞台は、国の重要有形民俗文化財に指定。天保年間以前に琴平の旧金丸座を参考にして建築されたと伝えられています。
「昔はもっとたくさんあったと言われる歌舞伎が、なぜ2つの地区で残っているのですかとよく聞かれます。はっきりしたことはわからないのですが、私が思うのは、それぞれに熱心な指導者がいたからではないでしょうか。中山には中山の、肥土山には肥土山のいい意味で〈歌舞伎バカ〉たちな指導者がいて、その精神が今も綿々と受け継がれているんだと思います。そういう人たちが引っ張ってくれたんでしょうね」。
そう話してくれたのは、中山農村歌舞伎保存会会長の久保政(くぼただし)さん。
23歳から会長になるまで、毎年役者として歌舞伎の舞台に立っていたそうです。
「歌舞伎の根本(ねほん)は数百冊残っていますが、上演できるのは20〜25ぐらいですね。縦長の大黒帳のような形をした根本を書き起こすのですが、その文字が現代人では読めないんですね。読み解けないものをなんとか読み解いて、台本を作ります。何百とある根本は、指導者が書いたものだと思われます。歌舞伎役者だった人が小豆島に落ち着いたとか、島出身で上方で歌舞伎役者をしていた人が島に帰ってきて書いたとか、いろいろな話があります」。
役者さんはもちろん、舞台師や化粧師、義太夫や衣裳方など、すべて地域の方が担当しています。
化粧師さんによって、役柄に合わせた化粧がほどこされた後、衣裳やかつらをつけて、いよいよ本番です。
「6月に演目を決定し、台本づくり。子どもたちは夏休みの8月から練習がはじまります。最近はこの役をやりたいと立候補する子もいます。兄弟で出演する子どもたちは、お姉ちゃんがやっていた役に憧れて、次の年に妹が演じることがあるんですね。練習でできなかったことを帰ってお姉ちゃんに教えてもらいと言ったら、次の練習ではきちんとできる。お姉ちゃんが家でちゃんと教えてるんですね」。
中山農村歌舞伎保存会の最年長は84歳。最年少は8歳だそうです。
「私が子どもの頃は、たくさん夜店が出たりして今よりにぎやかでしたね。子どもが夜に遊ぶなんて、歌舞伎やお祭りの時しかなかったので、楽しみでしたね」と久保さん。
「舞台に立つ役者が目立ちますが、役者はごく一部。裏方さんたちがいてくれるから、舞台は成り立つ。支えてくれる人がいるから、続けてこられたんだと思います」。
小豆島の農村歌舞伎で有名なものがもうひとつあります。
「わりご弁当」です。
「割盒(わりごう)」とは、木でつくった弁当箱。
大きな箱の中に小さな箱がいくつか入っていて、たくさんのお弁当を一度に運ぶことができます。
「肥土山の家には、わりご弁当の容器が大抵あります。自分の家で作りますね。弁当箱が一箱に20ぐらい入るので、親戚が来たり、友だちが来たら、一緒に食べていけよと呼び込む。わりご弁当には、ご飯や酢飯を専用の道具で突き固めた〈突き飯〉や巻き寿司を入れます。おかずは煮しめ。春だからたけのこを炊いたのを入れたりね。芝居見ながら、みんなで弁当を食べる。それも歌舞伎の楽しみのひとつです」と佐々木さん。
中山地区では、歌舞伎の日の早朝3時に保存会の女性たちが集まってわりご弁当を作ります。
「役者や裏方まで全員の分を作ってくれる、年に一度しか味わえないお弁当。突き飯には中山の千枚田の新米が使われます」と話してくれたのは、久保さんです。
島の人たちによって、何百年という間、代々受け継がれてきた農村歌舞伎。
演目が進むにつれ、少しずつ日が暮れていくのも農村歌舞伎ならではの楽しみです。
ベテランの方がアドリブで笑わせてくれたり、子どもたちの演技に声がかかったり。
来年、肥土山の農村歌舞伎は5月3日に、中山の農村歌舞伎は10月上旬に、それぞれ行われます。
小豆島の人々が守り受け継いできたふたつの歌舞伎にぜひ、おでかけください。