せとうちのしおり♯14
「私、この学校に通ってもいいよ」
娘が放ったその一言。この言葉によって私たち家族の運命が進み始めました。
高松港からの距離は約10キロメートル。赤いフェリーに乗って40分。
私たちが住む男木島は面積1.34平方キロメートルの小さな島です。
私はそこで男木島図書館という小さな私設図書館を運営している額賀(福井)順子(ぬかが[ふくい]じゅんこ)です。
フェリーに乗って、男木港に入ると急な斜面に魚の鱗のように重なった家並みが見えます。男木島の集落です。
男木島の人々は皆このひとつの集落に住んでいます。
今の人口は住民票ベースで168人。
冒頭の言葉を娘が言ったのは2013年の夏のことでした。
そのタイミングで男木島の中学生以下の子どもの数はゼロ。
学校に通う子どもがいないので当たり前ですが、男木小中学校は休校となっていました。
休校になっていた校舎では瀬戸内国際芸術祭の作品展示が行われていました。
アーティストグループ昭和40年会による「小学校からやり直せ!」と書かれた展示は校舎全体を使ったもので、作品が置いてあるだけではなく、アーティストの皆さんが代わる代わるワークショップを行ってもいました。
男木島出身の夫とともにその夏を男木島で過ごしていたその時、10歳の娘は特にそのワークショップを楽しみにして、学校に通うみたいにワークショップに通っていました。
そして冒頭の言葉です。
「私、この学校に通ってもいいよ」
ワークショップがこんな風にずっとあるわけじゃないよ? と言うと、それはわかっている、と。
わかった。では、通ったらいい。
というわけで、私たち家族は男木島への引っ越しを決めたのでした。
もし、あの時学校に作品がなかったら?
もし、あの時ワークショップがなかったら?
私たちはいつもの夏のように、ただ帰省を楽しむ一家族で終わったかもしれません。
2013年に学校再開のための活動をし、2014年4月に男木小中学校が再開しました。
娘の言葉だけですべてを決めたわけではありません。急激に過疎化していく夫の故郷。大阪から帰ってくるたびに鱗が剥がれるように空き家が増え、だれかが亡くなったという話を聞く状況。
何か自分たちにできることはないか、というのは、何度か夫婦の会話にあがっていたことでした。大阪にいて休みごとに島を訪れても、どんなに島のことを想っても、住んでいない人間が住んでいる人間に干渉するのは"違う"気がする。
心の中にモヤモヤを抱えていることを知りながら、では、島に住む決断をすぐできるかというと、親の都合で子どもを振り回すのはそれも"違う"気がする。
動けなくなっていた私たちの背中を押したのが娘の言葉だったのです。
学校が再開した時の生徒数は小中学校あわせて6人。
その時私が考えていたのは、「これはゴールではなくスタートだ」ということでした。
学校が開いてよかったね、でも今いる子どもたちが卒業して学校がまた閉まるのでは意味がない。
再開した学校がちょっとでも続いていけるように、自分ができることはなんだろう?
図書館をつくろう。
それは飛躍した思いつきのように見えるかもしれません。
でも自分がやりたくて、楽しくて(これも大事)、島のためになりそうなこと、と考えた時に頭の中に浮かんだのは図書館でした。
今後、だれかが島に住みたいと思った時に心配することはなんだろう? それはそれぞれ違うかもしれないけれど、私自身が心配したことを解消できる場をつくったら、人はちょっと住みやすくなるかもしれない。
子どもの学習環境、もともと住んでる人とのコミュニケーション、空き家など移住にあたっての情報が得られる場所。
そして何よりやりたいことをやっていて、そこに住んでいる自分たちがちゃんと楽しい、ということ。
2014年に引っ越してから、図書館のための空き家探し、場所の修繕など、実際の開館までには2年かかり、2016年男木島図書館は開館しました。
2018年の今、男木島へ引っ越しをしてきて、ここに根を張った人たちは40人になります。
2016年には保育園も再開しました。
2年前、男木島図書館にある「男木島への移住相談、受付しています」の言葉をたまたま読んで声をかけてくれたダモンテ夫妻は、昨年の冬にカフェを島でオープンさせました。
世界中を旅した中で自分たちが選んだコーヒー豆を焙煎し、カンパーニュとお菓子を焼く。パンとコーヒーのおいしさに足を運んでしまうのはもちろんですが、今年生まれた凪くんをあやしに、島の姉さんたちが代わる代わる訪れる癒しスポットにもなっています。
3年前、男木島図書館の開館のための工事を手伝いに来てくれたことをきっかけに、バンコクから引っ越して来た西川家は、男木島へ来た当初は夫婦と子ども2人の4人家族だったのに、気がつけば1人と2匹が増え、なんだか大家族感が出ています。
今年の夏にはその西川さんを中心に、世界的にも有名なITカンファレンスがすべてボランティアによる活動で開催され、約250人もの人が男木島を訪れました。
紹介しきれませんが、男木島には、美容師さん、漁師さん、学校で働いたり保育園で働いたり、いろんな根の張り方をしている人たちがいます。
それぞれがこの男木島で自分の役割をつくったり見つけたりして、今となっては元から住んでいたとか引っ越して来たとか関係なく、役に立ちあっています。
豊かだなと思うのは、楽しみながら、また新しいコミュニティがそこから生まれていっていることです。大きな輪が一個のみではなく、大きな輪がありながら、そこに重なったりはみ出たりしつつ小さな輪が生まれていっている。それは多様性を受け入れるということでもあります。
学校を再開したいと言った時も、図書館をつくりたいと言った時も、反対をする人はこの島にはいませんでした。
「無理じゃないか」と心配したり、「俺は本は読まんぞ」と言いながら開館したら本を借りに来たり。そんなかわいくて懐の深い人たちばかりです。
瀬戸内国際芸術祭をきっかけに、芸術祭のテーマである「海の復権」が自走するコミュニティの中で体現されつつある男木島。
「この学校に通ってもいいよ」と言った娘は来年3月に島の学校を卒業します。学校は閉じるどころか、教室が足りないかも、という話が出るまでになりました。
芸術祭は島に眠っていた種に注がれた水のようです。島で生まれた種に水が注がれて、芽吹いて、育って、また新しい種を生む。
来年2019年、男木島は4度目の芸術祭を迎えます。新しい水が注がれ、新しく育っていく種があります。アートによって伴走されるこの男木島で、芸術祭による新しい出会いと価値観が子どもたちを大きく育ててくれると信じています。
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今回の「せとうちのしおり【話が聞きたくて】」は、特別編として額賀(福井)順子さんにご執筆いただきました。ありがとうございました。
男木島図書館ウェブサイト
https://ogijima-library.or.jp/