せとうちのしおり#21
直島の玄関口・宮浦港から徒歩でおよそ30分、町営バスでおよそ5分ほどいくと、本村地区に着きます。
戦国期〜江戸初期の領主だった高原次利(たかはら・つぐとし)の城跡(高原城跡)が残り、城下町だった歴史ある地域で、廻船業と漁業で繁栄したことから、築100年以上の本瓦葺・漆喰に黒板塀(くろいたべい)の歴史ある民家が立ち並んでいます。
直島はハマチの養殖がさかんな島。本村港にはたくさんの漁船が係留されています。まるで迷路のような町並みには、ベネッセアートサイト直島「家プロジェクト」の作品が点在。普段とは少し違った目線で歩いてみると、新しい発見があります。
家々を見ると、表札のそばにひらがなで書かれた表札のようなものがありました。金属製でデザインを立体的に統一したプレートに刻まれた言葉を見ていくと、「まんね」、「せいご」、「いちんどん」など。例えば、高橋さん家の前には「はしもとや」とあり、その家の苗字との直接的な関係はなさそうです。
実はこれは屋号と呼ばれるもので、直島の古い家が持っている、いわばニックネームのこと。今も直島の人々の日常会話に出てくる「ひびき」です。
現在、51個の金属製の屋号が家々に掛けられていますが、設置はしていないものの屋号を持つ家は、直島町役場にある「屋号マップ」で見ることができます。
例えば「さかいや」は、かつて廻船問屋を営んでいた家で、天保の飢饉のときには松前藩に米麦を献上し藩主から感謝状を賜ったそうです。
また、高橋さんの家「はしもとや」の由来、それは家のそばに石橋があることから「橋のたもとにある家」という意味でつけられたと言われています。
築120年あまりになるという家の主は、直島で生まれ育った立石肇(たていし はじめ)さん。
立石さんは、瀬戸内国際芸術祭の作品制作のために滞在したアーティストと仲良くなったり鑑賞で訪れた人に島を案内したりと、とって頼もしい存在です。
夕日が美しいスポットもよく知っていて、自身も夕日を撮影することから「夕日のおっちゃん」とも呼ばれています。この日に着ていた青いジャンパーの背中には、直島で作品制作したアーティストたちのサインがあちこちに書かれていました。
「立派な松の木がある庭を見に行こう」と言う立石さんの案内で訪れたのは、黒板塀の門前で黄色いのれんがなびく日本家屋。
屋号は設置されていませんが、「ざいもくや」という屋号を持つ石川さんのお宅です。「ざいもくや」は、材木屋のとおり、先代まで大工の棟梁だったそうです。
家屋は、120年前にご主人のお祖父さんが建てた家をお父さんが増築し、現在はご主人が壁を補修したり庭を手入れしたりしながらていねいに暮しています。
「のれんが掛かっている時はだいたい自宅にいますから、一声かけてくださいね。お庭をご覧いただけますよ」と、石川さん。
のれんをくぐり庭に入ると、目に飛び込んできたのは笠のように整った大きな黒松。現在の家屋が建つ前からそこにあったそうで樹齢はおよそ150年、ご主人が会社員のころから約40年の間手入れをし続け、今も美しい樹姿を保っています。庭を訪れた外国人からは、「BIG BONSAI」と賞賛される自慢の黒松は、秋から冬にかけてが手入れのピークとなり、毎日大忙しだと言います。
屋号も、のれんも、おうちの庭も、作品をめぐる間にみつけることができます。
作品鑑賞の合間のおうち探訪。きっと、より深く直島の文化を知ることができますよ。
※町並みを散策する際には、交通マナーを守り、近隣の住民の方のご迷惑にならないようご注意ください。