芸術祭が始まって、応援・感動等の言葉が寄せられているが、同じように好意的な注意、批判もあってありがたい。特に丹下健三展に関しては、よくやったとの声もありながら、説明がない、字が読みにくい、との指摘があり、カタログが遅れていることも含めて、早急に手を打つことにしている。お客様、関係者の方々、申し訳ない。私の判断に責任がある。また作品への通路の安全性についても指摘があり、これも近日中に対策する予定である。入場料についても問い合わせがある。これら多くの課題について、的確に早く改善するつもりだ。これらが毎夜の打ち合わせの内容。

さて、22日は秋版の本島での岩田草平Xプロマイノリティ「New Port –青い香辛料-」に参加するインド・西ベンガル州・シアラ村のサンタル族の人々に会った。彼らの住んでいる場所は、タゴール※のつくった学園都市であり、岡倉天心ともゆかりがあって、彼らはベンガル語を話す。バングラデシュからの人々の話をうれしそうに聞いていた。お互いが出会ったら嬉しい。

また、福武ハウスのシンポジウム、午前中は7カ国のそれぞれの展示をアーティストの説明を受けたのち、質疑応答となった。昼は「福田アジア食堂」で、ランチタイム。インドネシア風カレー、韓国風うどん、福田のちらし寿司等を200人ほどの参加者が炎天下の屋外でいただき、その後は韓国の光州アートセンターのディレクター、イ・ヨンチョルさんの基調講演のあと、BankARTの池田修さんと、タイから作品づくりに参加している西堀隆史さん、台湾からリン・シュンロン(林舜龍)さんの話があり、7つの国のキュレーターがグローバリゼーションとそれぞれの地域固有の文化について述べた。他国の人々が日本のひとつの集落に入って日本の文化を知る、他国の人々との協働し、受け入れのなかから世界を知るという新しい交流プラットホームの試みが始まった。福田の人々はよく働き、受け入れてくださっている。

18日の夕方から福武総一郎総合プロデューサーとの同席が続いた。その合間合間の打ち合わせで、方向が整えられていく。2006年、越後妻有で始まったモバイル美術館の福武ハウスは母港としての福田小学校をベースに、これからの新たな移動に向かう。

※タゴール(1861〜1941) 1913年にノーベル文学賞を受賞したインドの詩人・小説家・思想家。ベンガル語で作品を書き、一部を自ら英訳した。農村改革運動を進めるなど、活動は多岐に渡る。ガンディーらの独立運動では精神的支柱となったといわれている。