せとうちのしおり♯15


高松港の沖合約4kmに浮かぶ女木島と、そのさらに1kmほど沖合で隣り合う男木島。ふたつの島は同じフェリーで結ばれています。
江戸時代、女木島と男木島、両島の北西に位置する直島の3島は、「直島」または「直島三ヶ島」と呼ばれていました。
このうち男木島と女木島の2島は明治23(1890)年に香川郡雌雄島(しゆうじま)村となり、雄雌島村は高松市に合併される昭和31(1956)年まで続きました。


ふたつの島にはそれぞれ夏祭りがあり、一年ごと交互に大祭りが行われます。
2018年の大祭りが行われた8月5日の日曜日、男木島に行ってきました。

日差しも強くなってきた夏の朝、男木島の高台にある豊玉姫神社に島の人たちが集まってきました。男木島の大祭りの日です。
さほど広くない境内はやや混雑し始め、移動するたびに誰かと肩が触れるようになります。

いよいよ祭りが始まる時間になりました。
鳥居越しには港を離れる赤いカラーリングのフェリーが見えます。

本殿での神事が終わると獅子舞の登場です。
はちまきを締めて、目のまわりに簡単な化粧を施し、鮮やかなブルーの衣装に身を包んだ男の子が拝殿の前に立ちます。
油単(ゆたん)と呼ばれる胴体部分に入る大人2人が操る獅子は、男の子の後ろで身をかがめています。眠っているのでしょうか。
鉦と太鼓の音を合図に男の子は両手に持ったバチを振って身体を動かし、獅子は動作を始めます。
そのうち、獅子の動きは激しくなり、カメラやスマホのシャッター音があちこちから聞こえてきます。
獅子は激しさとおとなしさを織り交ぜて舞い、獅子舞が終わると油単から顔を出した大人2人は境内中の拍手で迎えられました。

次に烏帽子をかぶった男性が神輿を担いで、上下させながら拝殿の前に進んできます。
神社に集まった人たちは列になって、神輿の下を次々にくぐっていきます。

そして、境内のやや下った場所に待機していた屋台が階段を登ってきます。
屋台とは、直方体に組んだ骨組みを色とりどりの布やモールなどで飾り付けた山車(だし)です。
拝殿の前に屋台が来ると、唄に合わせて、屋台内部前方で着飾った子どもがバチで太鼓を叩く所作をし、後方では浴衣姿の大人が三味線を弾きます。


屋台の合間には、にわかと呼ばれる即興の出し物があります。
いつもの人、初めての人も参加して、歌やマジックで境内がにぎやかな歓声に包まれました。

来年2019年の大祭りは女木島で行われます。さてここで、女木島の大祭りの様子も少しご紹介します。
(写真は2015年撮影)

女木島では太鼓台と呼ばれる山車が出ます。
太鼓台の櫓(やぐら)に太鼓を中心とした四方に4人の男の子が乗り、その櫓を支える長いかき棒を20〜30人の大人の男性が担ぎます。
櫓の上の男の子は、赤い投頭巾を被り、両手にバチを持ち、背中には鮮やかな色のたすきを長く垂らしています。
男の子は掛け声とともに特徴的なリズムで太鼓を叩きます。

日曜日の朝、集落の外れの小高い場所にある住吉神社で神事が始まります。
神事が終わると太鼓台が境内で練ります。太鼓台を担ぐ男性たちは、太鼓台を差し上げ、横転させ、また旋回させます。こうした太鼓台の非常に激しい動きが女木島の大祭りの特徴のひとつです。


その後、神輿と太鼓台は住吉神社を出てゆっくり時間をかけて島内をめぐります。
境内や御旅所などでは、住吉神社と同じく、太鼓台は横転や旋回を伴って練ります。さらに、昼下がりには海水浴場近くで太鼓台が海に入り、見学者や海水浴客を沸かせます。
太鼓台の上にいる4人の男の子は海水に濡れながらも海の上で太鼓を叩き続けます。


神輿と太鼓台が住吉神社に戻ってくるのは夕方です。
境内では、やはり太鼓台を横転させたり旋回させたりしますが、ここでの練りは比較的長く続きます。祭りが終わることを惜しんでいるのでしょうか。

太鼓台に加えて、住吉神社の境内や御旅所では獅子舞や屋台も出ます。
獅子舞は、男の子2人と大人2人が操る獅子によって演じられます。
男の子ははちまきを締めてカラフルな衣装に身を包み、両手にはバチを持っています。
獅子舞が始まると、男の子は鉦と太鼓の音でバチを上下させながら舞います。
それまで寝そべっていた獅子も胴体を起こし、男の子に合わせて敷物いっぱいに動き回ります。
最後を締める獅子の激しい動きは、見ている人たちから喝采を浴びます。


骨組みに幕を張った屋台の中にいるのは浴衣を着た子どもです。
屋台の周囲の大人の唄に合わせて、屋台の中の子どもが鉦や太鼓を叩きます。


このように、ふたつの島の大祭りをそれぞれ見てみると、なんだか獅子舞や屋台は男木島、女木島ともに似ている気がします。
男木島と女木島の大祭りに共通点が多いのは、江戸時代以来の両島の深い関係を示唆しているのかもしれません。