Directors Blog #2
作品巡遊(宇野港・土庄・迷路のまち))
与島から宇野に入ります。築港商店街、私たちが赤い家と呼んでいるのは、片岡純也+岩竹理恵の作品<赤い家は通信を求む>です。省電力でひとつの地球儀が回るとこすれ連動してたくさんが回るのです。窓のロールも皆そう。窓にある青と黄色の手旗信号"止まれ"の色彩は、ウクライナの国旗に見えてしまいます。2人は玉野を歩いていて、この街は積層のグラデーションで出来ていると発見したそうです。
40年前に閉じたまま残されている三宅医院のモロッコ出身で今はパリに住んでいるムニール・ファトミの作品は、これでリモート制作か?と疑ってしまうほどの緊迫感がありました。診察室、手術室、処置室、薬剤室、病室それぞれが開業時そのままで放置してあるなかに、パソコンモニター、ビデオ、白いスクリーンなどローテクで場にふさわしいところに、今から約20年前の5年間の映像が流れているのですが、これら15個の映像は第一次世界大戦後の1930年代に96の異なる民族が集まって生活していたアパートが2000年から2005年のあいだにただ壊されてしまった、その破壊のドキュメントで、実に生々しい。パリのアパートと玉野の医院との違いはありますが、ここには国や年代を超えて市街や住居が壊されている様子が、雑誌が散らばったままの階段や、床の配線や放置されたままの16枚の写真とともに表現されています。コロナ禍の、ロシア軍のウクライナ侵攻が私たちの脳裏にあるせいでしょうか。
小豆島は土庄の空地に五本立っている金属のつぎはぎの立木も存在感があるものでした。カンボジアのソピアップ・ピッチの作品。彼は貧しい地区で集めた不要になった鍋、釜を叩いて朽ちたサルスベリに貼り付けたのです。根が伐られ、地表から浮いているのも強烈です。これも不在のなかの虚妄と言える、この時代ならではのサイトスペシフィックな作品とも言えるでしょう。移動できないなかで、ファトミもピッチも彼らは送られてくる動画や写真に目を凝らして、どのように見知らぬ土地に作品を成立させるか、考えたに違いありません。土井健史の<立入禁止>に誘導されて歩く土庄町の空地、空屋も妙に味がありました。
2022年4月12日
瀬戸内国際芸術祭総合ディレクター 北川フラム