せとうちのしおり#33

スダジイやクヌギなどの原生林が広がる壇山からの湧き水に恵まれ、古くから稲作や酪農、野菜や果物づくりが行われていた、文字通り豊かな島、豊島。港から自転車に乗って島をめぐると、美しい棚田の風景など、豊かな食の風景に出会います。みかん農家さん、いちご農家さん、レモン農家さん、そして、お母さんたちとの会話も楽しい「島キッチン」を訪ねて、豊島の食の風景を旅してきました。

岡山県の宇野港と香川県の豊島、小豆島を結ぶフェリーに、ふたつの果物が描かれているのをご存知ですか。答えはみかんといちご。どちらも豊島を代表する果物です。豊島に到着してまずうかがったのは、フェリーに描かれたみかんをつくっている山本果樹園の山本彰治さん。実はみかんといちごのイラストは、山本さんの発案だったそうです。「豊島らしいものは何かと聞かれたから、みかんといちごやなと話したら決まったんよ」。

果樹園をはじめたのは、山本さんのお父さん。元々は関西方面に豊島石でつくった灯籠やかまどの一部である竃(クド)を行商する船乗りさんでしたが、「当時は風や潮の流れを読んで舵を取っていたから、波にのまれて海に沈む船をたくさん見てきた。船底一枚下は地獄じゃ言うて船乗りをやめて、山を買って、開墾して果樹園をはじめたんです」。


お父さんの時代には、富有柿、りんご、なし、ももなど、四季を問わずいろいろな果物をつくっていましたが、山本さんの代になってみかん一本に。「豊島は果物を育てるのに適していると思いますよ。日当たりもいいし、勾配もある。日当たりや水はけがいいからね。でも、いろいろな果物を育てていると、育て方が全部違うから効率が悪い。だから、私の代からみかんに特化しました」。

山本さんがつくっているみかんは、丸山一号という品種です。色、形、味。3拍子揃ったこのみかんに惚れ込んだ山本さんは、丸山一号の生みの親の元を何度も何度も訪ねたそうです。そして、ようやく分けてもらった苗木を育てるために、1町5反だった畑を倍に開墾。「それだけ惚れ込んだんです。当時はみかんブームで、国がみかんづくりを奨励した。豊島でもみかんが広がったけれど、生産過剰がきっとくると想定して、よその人よりいいものをつくらなければと思った。このみかんに命をかけようと思いました」。

山本さんは、現在85歳。みかんをつくり続けて、65年。「みかんのことなら誰にも負けん」と語ります。山本さんの畑では、畑の半分の木にみかんをならし、半分の木は休ませるそうです。「2年に1度しかみかんの実をならさないようにしているんです。木を疲れさせないことが大切。一年ごとに休ませると、みかんの甘みはぐんと増します。皮も薄くなるしね」。


土庄町の町議会議長なども歴任した山本さんは、みかんづくりをしながら、豊島の活性化にも力を注ぎ、豊島美術館などのアートプロジェクトの実現や棚田保存会の立ち上げに尽力された方。「瀬戸内国際芸術祭に多くの人が来てくれるのをみると、よかったと思いますよ」。

フェリーに描かれているもうひとつの果物、いちご。真っ赤ないちごジャムやいちごソースは豊島のお土産としても人気です。多田いちご農園の多田初さんが、豊島でいちご栽培をはじめたのは今から20年前。祖父母が暮らしていた豊島にIターンし、就農しました。


「子供の頃、療養のため祖父母の元で暮らしました。祖父母は立体農業と言って、牛を飼い、その糞を堆肥にし、その堆肥を使ってさまざまな農作物を栽培する循環型農業をやっていました。だからずっと牛飼いになりたかったんです」。実際に肥育農家で研修し、豊島で畜産業を始めることも考えた多田さん。しかし、BSE(牛海綿状脳症)の影響で、エサ代も出ないほどになりました。


これでは子育てもできないと思っていた時に、産廃の復興事業として、豊島の農業を再興させようという話が。それが女峰いちごをおいしく、誰でも栽培できるシステムにした香川型イチゴ高級ピートパック方式養液栽培〈楽チンシステム〉。それがきっかけで1999年からいちご栽培をはじめました」。
大人から子どもまでみんなが好きな、赤くてかわいいいちごなら、きっと復興の旗印になる。多田さんはそう思ったそうです。


「豊島では昔からみかんとオリーブが栽培されていましたが、そこに新しくいちごが加わって、いろいろな特産品ができるといいなあと思いました。豊島にいるじいちゃん、ばあちゃんを訪ねて来たお孫さんが、帰る時にはお土産にいちごを下げて帰る。豊島のじいちゃん、ばあちゃんが子どもや孫に会いに行く時、みんないちごを下げて行く。そんな豊島の特産物をつくろうというのをみんなの合言葉にしていました」。
4軒からスタートした豊島のいちごづくり。今では5軒の農家さんがつくっているそうです。

「せっかく豊島に来てくれても、いちごがない時期があります。でも、豊島のいちごを味わって欲しい。そのためにはいちごジャムやいちごソースにして食べてもらおうと思いました」。多田さんは豊島の中でジャムの講習会などを開くなど、ジャムづくりの技術をいろいろな人に共有しているそうです。


「地域おこしは味から始まると僕は思っているんです。たとえば、旅行で訪れた豊島でおいしいいちごを食べたら、地元に戻って家の近所で豊島のラベルのいちごやジャムを見たら、きっとまた買ってくれます」。いちごの栽培をスタートして20年。「20年かけて、やっといちごが豊島の特産品と認めてもらえるようになったかなと思います。みんなの努力があったからですね」。


いま島内にいちごのスイーツが食べられるお店は2軒あります。「僕は豊島のいちご農家さんがそれぞれこういうお店をはじめたらいいなと思っているんです。豊島に行けばいちごのおいしいお店がたくさんある。あのお店はクレープがおいしい。こっちのお店はかき氷がおいしい。そうなれば島内でいちごの食べ比べができるでしょう」。


自分の家でつくったいちごをいかにおいしく食べてもらうか。「それが私の使命だと思っています」と多田さん。「みんなで集まって栽培方式など常に研究しています。品質、味ともに安定してきました。同じ女峰いちごでも肥料によって味が変わるんですよ。ハウスによって酸味が強かったり、コクがあったり。それぞれのハウスごとに味が違う。食べ比べできたら、楽しいし、豊島の思い出にもなると思うんですよ」。

豊島のあちこちでは、黄色い実をつけたレモン畑が見えます。冬は収穫時期まっさかり。豊島で無農薬のレモン栽培が始まったのは2001年のこと。都市部からUターンした方が耕作放棄地をコツコツと開墾していき、農薬や除草剤、化学肥料などを使わずにレモンを栽培、やがて豊島のレモンは、全国各地から注文が殺到するようになりました。
その後を継ぎ、無農薬レモンを育てているのが堤郁恵さんです。現在、堤さんが管理しているレモンの木はおよそ1,800本。その畑を訪ねました。


岡山県生まれで、東京で会社員として働いていた堤さんは、無農薬レモンを栽培するため2014年に豊島に移住。「体によくておいしいレモンが大好きで、東京で暮らしていたときは1個200円もする無農薬レモンを買っていました。そのうち自分でつくりたいと思うようになり、研修先を探して見つけたのが、豊島のレモン農家さんだったんです」。堤さんは半年かけて修行をし、その後、その畑を受け継ぎました。


瀬戸内海を望むレモン畑には、大きく黄色い実をつけたレモンの木がずらりと並んでいて、中には、花の蕾や花が終わった後にできたレモンの赤ちゃんも見つけました。

無農薬でのレモン栽培は、夏はどんどん伸びてくる草を刈り、あとは植物性の酵素を年に3回噴霧するだけ。冬が収穫と剪定で一番忙しい時期です。女性一人で大変なときは、島のお父さんたちや移住者仲間、島外の人たちの助けを借りながら、作業をしているそうです。


畑に並んだ木々の中には堤さんの背の高さを大幅に超えた高い木も目立ちました。
「収穫しやすいよう木が高く育ちすぎないよう剪定する方法もありますが、レモンの樹勢を生かすように剪定しています。元気いっぱいの木に実ったレモンはおいしいですよ」と堤さん。豊島のレモンは、出荷する直前まで木でしっかり実らせて収穫をするため、酸味だけでなく甘みがあってとてもおいしいそうです。
「農薬や化学肥料を使わなくてもこんなに大きくておいしいレモンができる豊島の環境は、本当に豊かだと思います」と堤さんは話してくれました。

島の中央にある壇山のふもと唐櫃岡にある湧き水「唐櫃の清水」。豊富で清らかな水が絶えることなく湧き出ることからそう呼ばれています。その「唐櫃の清水」のそばにある民家を建築家 安部良さんが設計・再生。「食とアート」で人々をつなぐ出会いの場として生まれたのが島キッチンです。東京・丸ノ内ホテルのシェフのアドバイスのもと、島のお母さんたちと一緒にメニューを考えて、島の食材を使いながら、お母さんとこえび隊(瀬戸内国際芸術祭サポーター)が運営しています。


「料理に使う野菜は、お母さんたちに声をかけて、今つくっている野菜を分けてもらってメニューに使っています。昨日も仕込みがあったんですけど、仕込みにあわせて、収穫したての野菜を玄関前にそろえていてくれるお宅もあります。白菜があるからいる? って電話をもらうこともよくあります。お米は豊島の棚田でとれたお米です」。教えてくれたのは、こえび隊の大垣里花さんです。


「今日のランチに出していたお野菜も豊島でとれたものですね。ふろふき大根のお味噌も島でつくったものです。サラダのドレッシングは丸の内ホテルのシェフが考案したもの。その材料の玉ねぎも豊島産です」。

島キッチンでお母さんたちと働く中で、大垣さんは、豊島の食の豊かさを実感することもあるそうです。「スイートスプリングをたくさんもらったので、ジャムをつくろうとか。ズッキーニがたくさんきた時、ラタトゥイユをつくろうと提案したら、お母さんたちは『ラタトゥイユってなんな? って言いながら、トマトと炒めたらいいんやな』ってパパッてつくっちゃう。新しい野菜をつくることも、新しい料理に挑戦することにも、お母さんたちはとてもアクティブです」。

島キッチンのテラスで、月に1回開催されているものがあります。それは「島のお誕生会」です。誕生月の人たちをみんなで祝おうという催しです。島の人も楽しむ、島外から来た人も楽しめる。そして年齢に関係なく誰もが楽しめるお誕生会。1歳の赤ちゃんから100歳のおばあちゃんまでのお祝いをしたこともあったそうです。


「島の人と島外の人の交流の場であることはもちろんですが、島の中の人たちの交流の場にもなっていますね。島キッチンがようやく島のプラットホームになったかなと思います」。


お誕生会には、こえび隊手づくりのバースデーカードも配られるそうです。
「集合写真を撮影するのですが、みなさんがケーキを食べている間に写真をプリントするんです。その写真をカードに貼ると、バースデーカードが出来上がります。2014年から開催しているのですが、平均で50〜60人。多い時は100人参加してくださったこともあります」。


もうひとつ、島内の人たちに人気なのが、月に1度の「お惣菜の日」。
「ひとり暮らしだとおっくうになる揚げ物などのお惣菜の予約をとり、宅配するサービスです。島民の方々に手軽に島キッチンの味を楽しんでいただく機会にもなりますね」。
一番人気で定番になったコロッケは、毎回100個以上つくるそうです。


みかん、いちご、レモン、そして島キッチンで出会った島の野菜や魚、お米。育てている人やつくっている人たちのお話をうかがうと、おいしさはもちろん、さっき見た島の風景が、なんだか少し違って見えるような気がします。豊島で探した、食のある風景。その向こうには、島の人たちの暮らしや歴史、そして笑顔がありました。