お盆近くになって人の往来が盛んになった晴天、猛暑の瀬戸内海を巡る。ニブロールや切腹ピストルズを見、おいしい食事を摂る。打ち合わせや悩ましい会議もあるが、気持ちが良いので頭の中をいろいろな音楽が巡る。「瀬戸の花嫁」「岬めぐり」「七色の谷」「明日は月の上で」等。「あした〜月〜の上で♪」と唄うと、人は「大きな栗の木の下で」と勘違いするぐらい。僕が歌を唄うとまわりの人が笑ったり、止めろと言うので一人で口ずさむ以外、音楽は頭の中で調子はずれに巡っている。でもそれでも良いのではないか。同じように美術も人それぞれの頭の中で描かれているかもしれない。それはひとつの、あたりまえな、しかし大発見のようなきがする。

昨日は「ISLAND THEATERE MEGI『女木島名画座』」で映画トークをやったのだがその後の食事会で、僕がディレクターだと知らない人は遠慮なく作品について話してくれたのだが、その珍説、新説のなかに、あるいはそれこそ真実の受け取り方だなあと思うことも多くあって、気持ちがよくなった。百人百様の生理としての美術表現は、また逆に、百人百様の受け取り方できる実体験によって、意味あるものになっている気がしたのです。瀬戸芸は明るく快調に進んでいます。