せとうちのしおり#13

瀬戸内国際芸術祭の会場のひとつ沙弥島は、島とは言うものの船は利用しません。
なぜなら、大規模な埋め立てによって、陸続きになった島だからです。
1988年の瀬戸大橋開通に合わせて開催された瀬戸大橋架橋記念博覧会の会場としてご存知の方も多いかもしれません。
博覧会会場の跡地は、現在は瀬戸大橋記念公園になっています。
公園にあるカラフルなベンチの作品、「八人九脚」(藤本修三)に腰を下ろすと、本州方面に伸びる瀬戸大橋を島々とともに眺めることができます。

沙弥島には、ART SETOUCHIの活動により芸術祭の作品が今でもいくつか残っていますが、古くは万葉の歌人、柿本人麻呂が旅の途中に立ち寄り、歌を詠んだ島としても知られています。
「玉藻よし 讃岐の国は 国柄か 見れども飽かぬ 神柄か…」。
昔から美しい景色が広がることで有名で、島の北側に位置するオソゴエの浜には「柿本人麿碑」もあります。

瀬戸大橋記念公園を出て南西方向に歩いていくと、直線が印象的なモスグリーンの建物が見えてきます。東山魁夷せとうち美術館(谷口吉生設計)です。
日本画家、東山魁夷の作品を所蔵する美術館で、瀬戸内海を見渡しながら過ごせるラウンジも人気です。


美術館のある場所は、60年ほど前までは入浜式の塩田でした。
塩田とは塩をつくるための施設で、沙弥島では明治時代に遠浅の海岸を堤防で閉め切って設けられました。
入浜式塩田では、満潮時に海水を塩田に引き入れ、天日と風で乾燥させます。水分が蒸発すると塩田の砂に塩分が付着します。それをさらに海水と一緒に煮詰めて塩をつくっていました。

美術館の海に面した直線的な外周が入浜式塩田の名残です。

東山魁夷せとうち美術館から集落に向かう途中には、「階層・地層・層」(ターニャ・プレミンガー)があります。
この作品が制作された瀬戸内国際芸術祭2013の春会期が始まってから次第に芝が育ち、緑の丘となりました。
制作当初は土の色でしたが、今ではすっかり芝生の緑に覆われ、島の景観になじんでいます。

2016年の芸術祭期間中には多くの人が周囲を巡る螺旋の道を登り、頂上から写真を撮影して楽しんでいました。
頂上に立って周囲を見渡すと周囲の光景を一望できるので、つい撮影したくなる気持ちも分かります。

沙弥の集落に入ると、漁港が見えてきます。
よく見ると、船の出入りを邪魔するかのように、港の入口に大きな岩が。
「えなが石」と呼ばれています。
讃岐五大師のひとり理源大師のへその緒を埋めたと言われています。
触るとお腹が痛くなるという言い伝えがあり、今でもそのままにされているのだとか。

漁港から舗装された道路を左手に折れるとすぐに砂浜が見えてきます。
環境省の「快水浴百選」に選定されていて、夏は多くの海水浴客でにぎわいます。
砂浜の脇に建つ「沙弥島・西ノ浜の家」(藤山哲朗+冨井一級建築設計事務所)は、海の家としても使用されています。
また、「沙弥島・西ノ浜の家」の前面には、砂浜いっぱいに色とりどりの「そらあみ<島巡り>」(五十嵐靖晃)がたなびいていました。


「そらあみ<島巡り>」のエピソードは「沙弥島 与島地区5島〜陸続きになった2つの島と、瀬戸大橋で結ばれた3つの島〜」をご覧ください。

海水浴場から道路に戻り、やや傾斜のある坂を越えて道なりにしばらく歩くと、目の前が開けてきます。
ここがナカンダ浜です。
青々とした葉を付けた1本のエノキが強い存在感を放っています。
日陰を作るエノキの下には人が集まり、その向こうに広がる砂浜では子どもたちが鬼ごっこをしています。


ナカンダ浜は縄文時代からの遺跡でもあり、その重要性から香川県指定史跡として指定されています。
弥生時代から古墳時代にかけては、浜で製塩土器と呼ばれる薄いコップのような土器を用いた塩作りが行われていました。
両手に収まるサイズの土器に、濃度を高くした海水を入れます。
その土器をいくつも並べて火にかけ、土器の中の水分を蒸発させて固形の塩を得ていました。
この時代にも海水を容易に入手できることが塩作りの背景にあったのでしょう。


沙弥島では現代の技術を集めて建設、維持されてきた瀬戸大橋を間近で見られる一方、ナカンダ浜では古くに営まれた人々の生活に思いをはせることもできます。
長い時の流れを感じながら、島を散策してみてはいかがでしょうか。